坐禅(修行)の仕方
方法、手段、坐禅状態をつくることは不要です
【 】に書かれている内容を実際にしてみてください。
【手を叩く】がすでに悟りの内容です。【手を叩く】とあると【手を叩く】のみで、一切他に無いということです。ゆえに【手を叩く】が、すでに真相ということです。ですので、自ら真相らしいものを想い描くことは、真相を悟る妨げになります。
そして、【手を叩く】は、理解ではありません。ですので、考えを使い理解しようとすることは、真相を悟る妨げになります。
【手を叩く】とあればそうあり、【別の何かを叩く】とそうあるように、今ある実物【手を叩く】だけがあり、固定的な実体(状態)はありません。ですので、自分で良いと思える坐禅状態をつくり、維持しようとすることは、真相を悟る妨げになります。
真相が真相として自覚できないのは、考えで実物を認識し、捉えているからです。ですので、考えで、事実や真実などを捉えハッキリさせようとすることは、真相を悟る妨げになります。
坐禅(修行)=自ら何かをしようとせず坐っていれば、いずれ、認識し捉えることが、止み悟ります。
このようなことから、「自分で考えてつくった悟りの状態などの目標を、何らかの方法・手段を使い達成しようとすること」は、今すでにある真相以外の何かを達成しようとすることになり、坐禅(修行)の妨げになり、悟らないということになります。
※上記が理解できない場合は[真実・悟りとは]
を読み確認ください。
つまり、坐禅中に「自分で考えてつくった悟りの状態などの目標をつくり、何らかの方法・手段を使い、達成しようとし続けることをしてはならない」ということです。
したがって、坐禅(修行)は、坐りながら「一切何かをする必要がない」ということです。つまり、ただ坐って居るだけでいいということです。
「一切何かをする必要がない」のですから、何かをしていない状態をつくり、維持する必要はありません(固定的な実体がないので、維持できません)。一切何かをしていないか否かのチェックをする必要はありません(このようにしていたら何かをしていることになります)。
「自分で考えてつくった悟りの状態などの目標をつくり、何らかの方法・手段をつかい達成しようとし続ける」とは、具体的にはどのようなことかと言いますと、例えば、「悟りは無になることなので、思いがない方がよいので、思わないように努力し続けている」などのことです。
このようなことをしていると、自分で考えてつくった目標が、達成できた時はよい(思いが少ないからうまく坐れている)。達成できない時はよくない(思いが多いからうまく坐れていない)のように、出来不出来を気にしながら坐り続けていることになります。また、自ら何かを達成しようとし続けている時は、考えで努力していますので、考えを使い努力し続けているとわかります。もしこのようなことをしていると気づいたら、そのままいれば終わります。
※目標達成のために努力し続けてしまうのは、真相
とは何か、なぜ何もしなくてよいかなどの理解が不
りとは]とはをお読みください。
自ずと起きた内容のまま坐っていればよい
坐禅中に、自ら何かをしようとしなくても、たとえば、観察していたり、考えないようにしていたり、などの内容(動き)に気づくことがあります。このような内容(動き)は、自ら起こそうとして起きた内容ではなく、なぜか知らぬ間に起きた内容ですから、その内容そのものが、そのとおりの実物です。ですから、修行の妨げにはなりませんので、そのまま居ます。
観察することや考えないようすることを絶対に行わないようにすることではありません。絶対に行わないようにしたら、絶対に行わない状態を達成しようとし始めることになってしまい、修行の妨げになってしまいます。
思っていた、考えていたと気づいたら、思っていた、考えていたことが、終わったから、気づいたということです。したがって、気づいた時には「〇〇を思っていた、〇〇を考えていた」があり、既に思っていたこと、考えていたことは、終わっているので、そのままで居ます。
歌など止まり難い気がするものがあっても、そのまま居ます。たくさん思いがあると思ってもそのまま居ます。思いがつながっていると思ってもそのまま居ます。
つまり、自ら何かをしようとしていないにもかかわらずある内容は、それそのもの、そのとおりの実物です。ですから、何があっても、どうあっても、いいということです。今ある実物だけがあり、固定的な実体(状態)はありませんので、安心してそのまま坐っていてよいのです。
自ら意図的に何かをしようとしていなくてもある内容が坐禅の内容です
自ら何もしようとしていないから、何もないわけではありません。自ら何かをしようとせず坐っていると、予測不能な、五感、思い、考え、気持ちの内容があります。これらすべてが今の実物=真相ですから、自然に生滅する五感、思い、考え、気持ちの内容のまま居ます。これだけです。
坐っていると、例えば、以下のような内容(動き)があります(このとおりの内容ということではありません)。
・・・・・カタッ・・足が痛い・・坐るのしんどいなぁ・・ネコだ・・床そのものだ・・悟れるのかなぁ・・仕事のこと考えてた・・ニャー・・時間が短い・・床があった・・ご飯の支度しなきゃ・・やめたい・・・・・
このようなことが、坐禅の内容です。
真相や悟りに関する理解不足により
坐りながらしてしまいがちな例
■以下のような努力は不要です。以下のことを絶対にしないように坐りながらチェックすることは不要です。以下の例を一つずつクリヤーしていくことは不要です。自ら意図的にしようとしていなくて、以下のようなことがあったら、あったままで、何もする必要はありません。
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思いや考えが無い、少ない方が良いと思っているので、あると気になり、無くそうと努力し続けている。
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悟るために真相とは何かなど様々な概念を精緻にし続け、納得しようと努力し続けている。
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坐っている様子を捉えて、得た知識で、これが〇〇なのかと、確かめようと努力し続けている。
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悟りや無など知ったことから目標や理想を思い描き、それらを達成するために努力し続けている。
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悟り、今、無、五感の何かなどを得よう、捉えよう、ハッキリさせようと努力し続けている。
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坐れている状態をつくろうと努力し続けている。
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坐っている状態を観察しようと努力し続けている。
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坐禅ができている状態をつくろうとし続けている。
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良さそうと思う心境や特別な状態をつくり維持しようと努力し続けている。
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上手く坐れた状態を再現あるいは維持しようと努力し続けている。
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自我や執着などを無くそうと努力し続けている。
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事実だけに居ようと努力し続けている。
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呼吸を意識し続けようなど、何かに集中しようと努力し続けている。
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深く長い呼吸になろうとしている。
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自我を無くそうなど、妨げになると思っていることを無くしてから、ゼロにしてからでないと坐れないと思っているので、妨げになっていることを無くそう、ゼロにしようと努力し続けている。
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目の前の事実に、親しくいよう、参じよう、学ぼうと努力し続けている。
■以下のような不安が起きても、思ったまま、感じたままで何もする必要はありません。
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思いの内容を是非しながら坐っている。気に入った思いや状態でないと上手く坐れていないのでは?と悩みながら坐っている。
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静かに坐れていないと、坐れていないように思い不安になる。
■以下のような場合は、真相とは何か、どのように坐禅するかが不明確なために起きますので、[真実とは悟りとは]を読み確認ください。
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何もしていないように思ったり、壁や床(畳)を見ていて何になるんだろう等と思ってしまい、無駄な時間を過ごしているように思い、嫌になり、坐らなくなる。
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頑張ることが修行だと思い、何かを頑張っていないと不安になる。
坐る形などについて
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坐る形の要点は、形をすることで必要な意識を結果的に保てること、眠気防止になることです。
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目を開け、坐っていると焦点がボケたり、違う位置になったりします。どれも今の実物内容ですので、ある一定を保ち続けようとする必要はありません。そのままでもいいですし、ボーっとするようでしたら目の焦点を整え直してもいいです。
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目をしっかり開いていようと意識し続けることではなく、目が閉じていたら開ければよいです。
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眠くなってきて、寝てしまいそうになったら、目が覚める工夫(歩く、顔を洗うなど)をします。それでも眠ければ少し寝て坐禅を再開します。
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膝痛などの方は、椅子など無理のない姿勢で行います。
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坐中姿勢を整え直す為に身体を動かすことはしてよいですが、頻繁にはしません。
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長時間同じ姿勢によるエコノミー症候群防止のために、1時間から数時間ごとに体を動かしてください。詳細は[こちら]を参照ください。
普通に暮らして修行する
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何をしていても、今しているとおり(実物)です。
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お茶碗を洗っていたらそのとおりです。お茶碗を洗っている時に、思ったり、考えたりしても、思ったことや考えたことを検討したり、無くそうとするなど、どうこうするのではなく、お茶碗を洗います。
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商談をしていたら、そのとおりのことをしています。商談をしていても、思ったり、考えたりします。商談に必要な思いや考えは使います。商談に不要な思いや考えは、無くそうとするなど、どうこうするのではなく、商談します。
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空き時間があれば時間の長短関係なく、その場で、坐れるかぎり坐ります。姿勢はその時できる姿勢でします。電車で立っているなら、立ってします。
坐れているかの点検は必要です
坐禅(修行)ができているかの確認を独参(個別質疑応答)でしてください。
坐る(修行する)ということについて
坐る時に、外から仕入れた方法を覚えてするようなことを一切していませんね。このようなことは、正伝の禅を知る前にはしたことがないことなのです。知る前は誰かの説をしていたのです。本当に坐っている時に自ずとある内容のとおりに居るということは、真相のとおりに居るということなのです。これ以上のことがあるでしょうか!
いつ悟るかわからないという思いもある中で、何かをしようとすることを止め、諦め、坐るということは、本当にすばらしい素敵な挑戦なのです。
修行ができるようになり、コツコツと修行していれば、悟ることができます。ご精進ください。なんせ、坐ればいいのですもん!!
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