松本自證が主催する坐禅会です。
真相と真相を悟るための坐禅の仕方をお伝えしています。
初めての方へ
悟りも坐禅(修行)も、難しいことではありません。真相を悟った人が少ないのは、「悟り、真相、禅、正しい坐禅(真の修行法)」が世間一般にあまり知られていないからです。
禅とは何かが理解できて、正しい坐禅(=坐禅状態をつくることは不要と理解し、ただ坐っていること)ができ、それをこつこつ続ければ、誰でも悟れます。誰でも悟れるのは、同じ人間だからです。つまり、誰もが同じ機能でできているからです。だから、私でも悟れたのです。だから、ずーっと伝わってきたのです。
禅とは、禅という特別なことではなく、事実のことです。事実とは「カアカア」とあると「カアカア」とある様子のことです。坐っていて「カアカア」とあると「カアカア」とあるのが、坐っている時の内容=坐禅の内容です。だから坐禅の状態をつくることはできないのです。不要なのです。
坐禅状態をつくろうとしてしまうのは、坐禅と聞くと、坐禅という状態をつくらなければならない、と思い込んでしまうからです。自分の修行を振り返って思うのは、坐りはじめの頃、良かれと思い、良い坐禅状態をつくろうと頑張っていたなぁと思います。
「カアカア」は「カアカア」と示されても、良い坐禅状態をつくろうとしてしまいました。このようになるのは、「カアカア」とあると「カアカア」であると示されても、どうしても、坐禅は普段とは違うことだから、坐禅を理解しなければ、という思いが当然なために、理解したことを元に、理解した坐禅を行おうとしてしまう事が止みにくく、余計な事をせずに坐れるようになるまで、時間がかかってしまいました。
このような自らの余計なことをしてきた経験を踏まえ、当禅会では、参禅者の方がより早く正しく坐れる(=坐禅状態をつくることなく坐る)ようになるために、真相、悟り、禅、坐禅をわかりやすくお伝えしています。様々な解釈が可能な、誤解を招く表現を避け、明確な言葉を使い、また、参禅者の理解の仕方に合わせた伝え方をしています。さらに、誤解がないように、参禅者の理解を随時確認しながら、お伝えしています。
そして、「坐ること」と「独参で余計なことをしていないかの点検をすること」で余計なことをせず坐っていれるようになりますので、点検が必要そうな方には、こちらから声をかけ、独参をして点検を行っています。
この様にお伝えしているため「坐れてたんですねぇ」「このまま坐っていればよいと自信が持てた」「今まで余計なことをしていたとわかった」という感想を聞きます。
たまたま先にハッキリした私の役割は、ガイドのようなものです。こうすると悟りますよ。そうすると悟りませんよ。というガイドです。