プロフィール
松本自證(まつもとじしょう)
不安を無くすために、瞑想、ヒーリング、リーディング、セラピー、自己とは何かの思索など様々なことを行う。ある時、死への不安や死の不明さが不安の元と気づき、真相を悟れば死の不安や不明さがは無くなるのではと思い、真相や悟りを探求し始める。なんらかの体験もし、体験後は真相を求める思いが止むが、時が経つと求心が再燃することを繰り返す。やれることはすべて行い、どうすることもできないでいた時、井上義衍老師の書籍に出会い、これで探求が終わるとことを確信する。後に、井上貫道老師を師とし、質疑をくり返し、坐れるようになる。時を見つけては坐ることを行い、ある夜「カチッ」とすでにそうであった真相が露わになる。井上貫道老師より見性の証明を受け禅会を開始する。
貫道老師より「見性とは、自己の真相に気づくと言いますか、自分らしいもののない体験をしたということです。見性など色々な表現がありますが、そのような表現に惑わされない確かさということです。」
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みなさまへ
悟りも修行も、難しいことではありません。
真相を悟った人が少ないのは、「悟り・真実、正しい坐り方(真の修行法)とは何か」が世間一般に知られていないからです。正しく坐ることができ、それをこつこつ続ければ、誰でも悟れます。私でも悟れたことが、その証明です。
正しく坐ること(坐禅)は難しくありません。しかし、自分の修行を振り返って思うのは、正しく坐れるようになるまでに時間がかかり過ぎたなぁ、ということです。時間がかかった理由は、正しい坐り方が中々理解できなかったからです。なぜなら、まず禅の表現がわかりにくいことがありました。さらに、禅や悟りなどに関する思い込みがあったり、物事を理解する仕方のクセがあったりしたため、伝えられた言葉を誤って解釈したこともありました。
このようなことを踏まえて、当禅会では、参禅者の方々がより早く坐れるようになるために、真相や悟り、坐禅の仕方をわかりやすくお伝えしています。様々な解釈が可能な、誤解を招く表現を避け、明確な言葉を使い、また、参禅者の理解の仕方に合わせた説明をしています。さらに、誤解がないように、参禅者の理解を随時確認しながら、坐り方をお伝えしています。
このため「坐れるようになった」「このまましていけばよいと自信が持てた」「今まで余計なことをしていたとわかった」という感想をよく聞きます。
たまたま先に修行してハッキリした私の役割は、ガイドさんのようなものです。こうすると悟りますよ。そうすると悟りませんよ。というガイドさんです。
